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旧中島家住宅 -昭和初期の豪邸-

利根川の北側、その利根川の土手をかすかに望むことができる農村地帯の中に一本の大木が目立つ豪邸があります。それが旧中島家です。そこは広大の敷地は和風の塀に囲まれ、西側の正面から入ると目に飛び込む車寄せと神殿のような構えの立派な屋根が印象的です。
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車寄せと宮殿のような和風建築

旧中島家住宅は国重要文化財になっている豪邸です。
中島知久平が自分の親のために造ったといわれていますが、彼自らそこをビジネスや政治の交渉や迎賓館的な使い方をされていたようです。
中島知久平について調べました。
中島知久平は群馬県尾島村(現在群馬県太田市)に生まれ、明治から昭和にかけて軍人、実業家、政治家として活躍された人物で、車のスバルブランドで日本でも有数の企業「富士重工業」(当時の中島飛行機)の創始者です。
中島は海軍軍人であったが、戦闘における航空機の将来に目を付け「航空機は国産でなくてはならないこと。民間でなければ製作で不可能」と考え中島飛行機を群馬県に設立しました。その先見は正しく、そして、それで得た豊富な資金力を活かし代議士となり、鉄道大臣をはじめ軍需相、商工省などを務め、軍部よりの革新派政党の中枢として力を伸ばしていきます。第二次世界大戦で日本は敗戦国となり、中島は一時A級戦犯とされましたが昭和22年にその解除をされています。

そんな中島知久平の親へのプレゼントをお屋敷という形でしたわけですが、かなりの豪邸です。
まず、正面玄関から屋敷に入ると正面には和庭園が正面に見えお迎えしてくれます。
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建具のガラスには細かく植物の柄が施されています。

家の中の内装は、壁クロスから建具のガラスや錠前金物、床のパーケット、絨毯、暖炉、シャンデリアの装飾まですべて知久平邸用の特注品。当時の工事費は、同時期(昭和初期)に大阪城復興工事(5層の鉄筋コンクリート造)の工事費の約2倍位だったそうです。絨毯だけでも現在の価値で3000万円だとか(驚愕!!)。
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いわゆる居間(リビングルーム)です。

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和風の建物からは想像できないような華やかな洋式です。

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シャンデリアからステンドグラスまですべて特注品です。

また、南側の主庭は3000㎡以上ありその前に飛行場の滑走路があったそうです。来賓客やビジネスの交渉で眼前で自工場製作の飛行機を飛ばし、それを眺めながら交渉や接待をしていたのでしょう。そう思うと、事業家や政治家としてだけでなく、エンターテイナーとしても来賓をもてなす能力の高さを感じさせられます。
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南側主庭からの建物の様子。

ご興味のある方は是非一度、御高覧下さい。
ホームページはこちらです。
http://www.city.ota.gunma.jp/005gyosei/0170-009kyoiku-bunka/bunmazai/shinotabunka04nakajimatei.html


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by atelierKC | 2018-02-01 14:25 | 気になる場所

埼玉を愛する情熱の空間創造家がマチでみつけた気になるデザイン・モノ・お店を紹介します


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